鍼灸への科学的思考の先駆者

鍼灸治療に対する科学的思考の先駆者 Felix Mann

 

伝統的鍼灸理論に対して西洋科学的な視点から健全なる批判精神をもって取り組んだ Felix Mann という医師についてご紹介いたします。

 

私が勉強している類の文献ではしばしば目にする人物で自分の整理もかねて一度まとめておこうと思いました。

日本の鍼灸マッサージ師の世界で、あまりこういった視点で物を申すことはしにくい雰囲気はありますが、当院は何のしがらみのないところで日々治療しているだけの存在ですので、ご興味を持ってお読みくださる方もいらっしゃるのではないかと思い載せております。

 

Felix Mannの主な功績


彼の主な功績は以下のとおりです。

一言で表現すると「 Scientific Acupuncture 」を提唱しました。「科学的な根拠を持って行う鍼治療」とでも訳せば良いのでしょうか。

 

「Medical Acupuncture Society」および「The British Medical Acupuncture Society」の創立者であり会長を務めた人物

経穴(ツボ)と経絡の存在を否定するに至る

鍼灸刺激は要するに神経に対する刺激

新しい概念を提唱(弱い鍼刺激による治療・骨膜への鍼刺激)

 

具体的内容

 

Felix Mann は(1931年ドイツ生まれ – 2014死去)イギリスで活躍した医師です。

「Scientific Acupuncture」(科学的根拠に基づく鍼治療)を提唱しました。

「Medical Acupuncture Society」および「The British Medical Acupuncture Society」の創立者であり会長を務めた人物です。

 

 

彼が活躍した20世紀前半のヨーロッパにおいては、鍼について学ぼうとすれば国外に出て学ぶしか方法がありませんでした。

もともと興味を持ったきっかけは添付の The New York Times (ニューヨークタイムズ)の1971年12月4日の記事にありますように、彼のガールフレンドが鍼灸師にほんの15分の鍼治療で虫垂炎を治してもらったことだったと言います。(今の鍼灸業界のスタンダードでしたら迷わず病院に行くことを勧めるべきケースです。腹膜炎になっていたら…とつい考えてしまいますのでこの話自体が恐ろしい気がしてしまいますが)

 

中国に渡り中国伝統鍼灸理論を学んだ彼は、その後イギリスに戻り当時ほとんど認知されてなかった鍼治療を日々の治療に取り入れました。

 

良い結果に後押しされて周囲の医師に鍼を教え始めますが1960年代中期になると転機が訪れます。

彼の常態的な批判的思考がもたらす必然の結果だと思われます。

当初は、鍼灸が効果を発揮するのは体の中を流れる生命エネルギー(気)の乱れを鍼灸によって整えるからだ、といういわゆる経絡経穴理論のとおりに治療を行っていましたが、ある時、伝統的なツボではない場所に打ってみてもツボと同じ効果が出たことをきっかけに、経絡や経穴の真実性に疑いを持ち調査を始めます。

 

その結果、やはり、今まで教わってきたツボと言われるところと、非ツボに打った鍼の効果が変わらないことを確認し、鍼が必ずしも正確にツボと言われる場所に打たれる必要がないことを明らかにしました。

そして「点」というよりも、むしろ「面・エリア」として考えるべきだ、という結論に至ります。

そしてその「エリア」というのは結構広く、例えば、ある患者においては下肢という範囲で合っていれば十分で、その下肢のどこに打っても結局同じ効果が出るということを発見しています。

このような確認作業をくり返し、ツボと経絡は存在しない、陰陽・五行説は哲学上の概念(philosophical concept)であり、不適切あるいは単に誤りである(mostly irrelevant,  or simply wrong)という結論に至りました。

1970年代から積極的に鍼治療の伝授に努め、U.S.A、カナダ、多くのヨーロッパ諸国を含む55の国・地域、1600人以上の医師が彼のもとで鍼治療を学びました。

彼に言わせれば鍼が効くのは経絡・経穴によるのではなくあくまでも神経システムの活動に対する調整作用からである、という説明になります。しかし、The New York Times の記事にありますように「それ以上のことは分からない。効くことは知っているけれども。」と述べています。もちろん現在ではその当時から随分経過しているので様々なことが明らかにされています。彼がやりたかったであろう方法で多くのことが説明できます。

 

彼の時代にはまだ今よりも分かっていないことが多かったので仕方ありませんが、その後の研究成果を踏まえ、当院では、ポリモーダル受容器が鍼灸の効果を生み出す中心的な鍵になると捉えて日々の治療で実践しています。

鍼鎮痛に関しては中枢神経も多くかかわってくる話なので少し事情は異なりますが、肩こり・首こり、腰痛など筋硬結(コリ)やそれに起因する痛みであればポリモーダル受容器を中心に十分説明できるところまで解明されてきています。

これには日本の生理学系の研究者の皆さんがとても大きな貢献をされていますのでその恩恵にあずかる身として本当に感謝しています。むしろ、これらの大事な知見が当のScientific Acupunctureを実践する者たちに十分に取り入れられていないように見えることが残念です。この点を考えると日本で鍼灸師、マッサージ師なのは本当にラッキーです。(このような恵まれた環境にいながらツボや経絡の理論だけに囚われているとしたら勿体ないことだとつい個人的に感じてしまいますがそれは大きなお世話です…)

 

Mannはこのインタビューの中で、「医者というのは面白い人たちだ。効く仕組みが分からなければ効くと認めないから。今自分は鍼の効く仕組みは分からないけど、自分の患者さんの多くが良くなっていることは分かっている。」と述べています。

これには全面的には賛成できないように感じられます。現在、鍼について効く仕組みについて多くのことが科学的に説明できるところまで来ていますが相変わらず鍼灸マッサージ治療に対する医師の目は厳しい現実は否めません。もっとも科学的に説明しようとしていない鍼灸界側の責任も大いにあります。

むしろ、『人間本性論』で有名なD. Humeがいうように「理性は感情の奴隷である」という路線での説明が正しいように思われます。人は自分が信じたいことの呪縛から逃れることは困難です。

 

Mannは、このように伝統的な見方による拘束から解き放たれ、その後いくつか重要な鍼治療への寄与をもたらす発見をします。

 

・1 鍼が特別に効きやすい集団が一定数存在すること-実際に近代医学の鍼で広く受け入れられている(これは 浅い鍼・軽い刺激の治療 というコンテンツでも触れているのでよろしければご参照ください)

彼らの調査によると、1000人の重度ではないが慢性的な病気の患者を対象に鍼の効きやすさを調べたところ、44%が治った(とても改善した)、29%がそれなりに改善した、27%が改善しなかった、という事です。

Mannらの研究によると、人口のおよそ50%の患者は strong reactors 強反応者であり、これらの患者には鍼が魔法のように効く。彼らの症状は数秒あるいは数分の治療で治るか軽減する。必要な鍼刺激は優しく、たった一つ二つの鍼で十分である、としています。(*)

(*) ここで言っている「効く」は多くの研究、論文での「効く」と同様、(一時的な)鎮痛の意味での「効く」です。当院が治療の主眼に置いている筋硬結(コリ)が除去されるという意味ではありません。

 

・2 骨膜に対する鍼刺激

後にもっと広く適用し関節痛などにも使用

例)

  • 頸椎椎間関節における鍼は上半身のどこの不調に対しても有効である。
  • 同様に、仙腸関節の骨盤の骨膜は下肢のどこの痛みに対しても有効である。

としています。

 

骨膜に鍼が当たって「響いた」とか「効いた」という事例は当院では確認できておりませんので、骨膜への鍼治療については当院の方では現段階では評価できません。

しかし、椎間関節(関節包)という点では以下に触れるように、実際にぎっくり腰むち打ち症でとても効果が発揮されているので大いに評価しております。

現在、fasciaファシア)、ここでのファシアは日本で捉えられているような「筋膜」の意味ではなく本来の線維性結合組織の意味です、に対する鍼治療が一部で注目を浴びております。当院でもエコーを使用しながらその重要性を確認作業を行っておりますが、もし、Mannが厳密な意味での骨膜(だけ)ではなく、今で言うfascia に対する刺激の有効性を唱えていたとするなら本当に先見性がありまくりだったと言わざるをえません。

これも彼の常態的な健全な批判的思考がもたらす必然の結果だったと思います。

 

fasciaとは筋肉、骨、関節、神経、血管、臓器それぞれを包む膜などの線維性結合組織を言います。ポリモーダル受容器はもちろんfasciaにたくさん分布しているので痛みの発生源になりますし、理論的に鍼治療が大変効果を発揮できる場面です。

ただし、臓器は鍼禁忌ですから直接の鍼刺激は無理ですし、関節内への刺入は感染症などのリスクが高いため関節包への鍼も例外的な部位を除いて実用は困難だと思われます。神経や血管のポリモーダル受容器の異常をどのように見つけて鍼治療できるのかという実践的な困難をクリアできていない段階にあります。エコー無しではまず血管や神経の発見は無理ですが、エコーでそれらのポリモーダル受容器の異常までを見て取れるかという点が現段階では難しいです。

ですので現状、fascia組織の治療としては、筋膜、じん帯などが鍼治療の対象になっています。

筋膜については今さら言うまでもなく、コリと痛みを取るうえで主たる刺激対象(筋膜上の過敏になったポリモーダル受容器)と言ってもよいくらいの存在です。

関節包についての鍼治療という点に触れておきますと、特に、椎間関節における鍼は首こり腰痛において無茶苦茶効果を発揮します。中でも、むち打ち症や、ぎっくり腰と一部の慢性腰痛にはこれ以上ない、というような効き方をしますのでこれについては現段階でも当院はMannの意見は正しいと捉えています。

ただし、症状が悪いと相当響きが強いですので、それでも良いから根本的に治したいのだという患者様以外には残念ながら行うことが出来ません。このような場合は、マッサージ等である程度まで緩めて閾値を上げたうえで鍼治療に入るのが良いと思われます。

 

 

<参考記事>

ニューヨークタイムズ 1971年12月4日 「Acupuncture Is Backed by British Doctor」

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