鍼刺激と脳波・ERPについて
脳波(EEG : electroencephalography)とは
脳波とは何か?
人間の脳は140億もの神経細胞の集まりです。神経細胞からはいつもごく微弱な電気が発生しており、その強さは波打つように変わっています。
この波が、例えば1秒間に10回程度(8~13)の頻度で上下(プラス―マイナス)に波打てばアルファ波と呼ばれています。この周波数(1秒間に何回プラス-マイナス行ったり来たりするかという数)の違いによってアルファ波、ベータ波、シータ波、デルタ波などと分類されます。
(単なる周波数というよりも)活動部位による分類のされ方もあります。
アルファ波は主に後頭部を中心として観察されますが、後頭葉以外でもアルファ帯域(8~13Hz)の電気的振動が発生しており、中心溝周辺のものはミュー(μ)律動、側頭葉周辺のものはタウ(τ)律動、二次感覚皮質周辺のものはシグマ(σ)律動と呼ばれることがあります。ミュー律動は体性感覚・運動などと、タウ律動は聴覚処理などと、シグマ律動は体性感覚処理などと関連があるといわれています。
*ただし、アルファ波はリラックス、ベータ波は○○、デルタ波は△△…などと一般的に記述されていますが学術的にはそんな単純なものではなく今日においてもこれらの脳波状態の正確な機能は議論の最中です。
アルファ波の例
(Wikipedia – 脳波より)
1秒間におよそ10個の波がカウントできます。(=10Hz)このような脳波をアルファ波と呼んでいます。
脳波測定とは具体的に何を見ているのか?
神経が情報をやり取りする際に電気が生じるのでEEGではこれを観測しています。
神経組織における情報は、軸索と呼ばれる神経線維の部分は電気で、隣の(次の)神経に伝える際には物質(神経伝達物質という化学物質)で伝えます。脳内ではこれが速いスピードで繰り返されています。
(神経と神経の間にはシナプスと呼ばれる隙間があり、その隙間は物質(神経伝達物質)で情報を伝えるという方式で行われます。)
神経伝達物質を受け取って、次の神経細胞が興奮する時に生じる電位(=後シナプス電位:(注)活動電位そのものではありません)を脳波という形で計測しています。
ただし、1個の神経細胞の発する電気は計測するにはあまりに小さすぎ、だいたい、数百万個単位の集団的な神経細胞の興奮を拾っているといわれています。
それでもなおマイクロボルト(100万分の1ボルト)という単位の微弱な電気に過ぎないのでそれを100万倍、200万倍に増幅して見える形にしています。
fMRIとの大きな違い
ERP(事象関連電位 : event related potentials)について
ERP(事象関連電位)とは
事象関連電位: ある特定の事象(ここでは「鍼を刺した」という刺激)に関連した脳の電位変化を言います。
近年、MRIなどが脚光を浴びていますが、半世紀以上にわたる研究の蓄積がある研究方法でERPの安定性・信頼性は揺らぐことないと言われています。
(私も大学院の博士課程ではこのERPを用いて脳の研究を行っていました。)
ERPの基本原理
通常「脳波」と言った時にイメージするような脳波は、上でご紹介しましたアルファ波のように、基本的にランダムに上下しています。このような脳波は自発脳波(背景脳波)と呼ばれます。
そして、何かを見たり、鍼の刺激を受けたりするとその刺激を脳が処理する一連の過程が起こりますが、その脳活動は自発的な脳波に重なって生じ現れてきます。これを誘発脳波と言います。
多数の試行で得られた脳波データを、事象の生起時点(刺激を加えた瞬間)にそろえて加算して平均するとランダムに生じている自発脳波はランダムに上下しているので相殺し合って0になり、刺激に関連した脳波(電位変化)だけが浮かび上がってくるという理屈です。
要するにランダムに動いている脳波を消して、「鍼刺激したことによって生じた脳波だけを浮かび上がらせる方法」とご理解ください。
SEPs : 感覚刺激誘発電位 要するにERPなのですが、視覚や聴覚、触覚(鍼も)など五感に対する刺激で得られたERPをSEPと読んでいます。SEPにはN1(N20)、P1(P30)、P300、LPP…潜時と波の極性により様々なものがあります。
ごく大雑把な言い方をすれば、だいたい刺激後、数10~300msくらいまでは感覚刺激の処理の脳活動、それ以降、特に500ms~700msに現れるような波は認知的処理に関連する成分(その刺激をどう評価するか)です。
ERPの利点
活動が生じた時点をどれくらい細かく知ることが出来るかを時間解析能と言いますが、
時間解析能が高いことが挙げられます。( ⇔ fMRI )
サンプル周波数(1秒をどれだけ細かく区切ってデータ採取するか)を高くすれば理論上限界はありません。
したがって、情報が脳内をどのような流れで処理されていくかという時間的な過程を調べるのに適しています。
千分の1秒は1ms(1ミリセカンド)ですが、ERPだと10ms(=100分の1秒)単位での変化についての議論が一般的になされます。
ERPの不利な点
神経活動が生じた場所をどれくらい細かく知ることが出来るかを空間解析能と言いますが、
空間解析能が限られているので(1cm以上)どの場所で脳活動があったかということを細かく知るには不適切です。
不良設定逆問題(逆問題・逆算問題)という困難があります。
簡単に言うと、脳の深い浅い問わず様々な部位での神経細胞の活動により生じる電位変化は容積伝導しながら脳組織、脳を包む硬膜、結合組織や体液(脳脊髄液)を伝わり、頭蓋骨を経由して最終的に頭皮に伝わります。そしてそれぞれの組織は電気の伝わりやすさが異なります(頭蓋骨は電気抵抗が他の組織のおよそ80倍と言われている)。
こうして頭皮表面に伝わってきた電位変化をデータとして使用するのが脳波です。
ですので電源を推定する場合はその頭皮で得た電位が果たして脳のどこから来たものか?を逆算しなければならず簡単ではないことが分かります。したがって、よく誤解されますが、例えば頭頂部で脳波データが得られたからと言って電極の真下の頭頂葉に反応があったという事にはなりません。
解析法について
ICA(独立成分分析)
最近、独立成分分析(ICA independent component analysis) が普及し、脳のどこでどのような成分(活動)が生じたという分析がより分かりやすくなっています。
独立成分分析は 既述の、逆算問題と呼ばれる難問題を一挙に回避して信号源を推定できてしまうといいう画期的な方法です。
DCM(dynamic causal modeling)
更に新しい解析法としてDCMが提唱されています。複数の信号源の活動のネットワークモデルから観測されたデータを説明する手法です。
認知処理を脳領域間のネットワークとしてとらえるという考え方は、これから先、より広く一般的になっていくと考えられます。
周波数解析・時間周波数解析
周波数解析はEEG,MEGでよく使用されるもう一つの方法です。
アルファ、β、ガンマ、シータ、デルタ波などがどれくらい強く含まれているかなどを調べるものです。
しかし、これは脳波研究の一番の利点である時間情報を潰してしまうので最近は時間情報をある程度温存しながらその中で周波数解析を行うという時間周波数解析という手法が良く使われるようになっています。
EEG・ERPの実験例
以下のことが報告されています。
「手技による刺激」と「低周波通電鍼刺激」は異なるERP脳反応を示す。
ツボの部位へのタッピング(トントンと皮膚を軽く刺激)に対するERPは、潜時35msでピークとなったのに対し、低周波通電鍼では潜時20msでピークとなった。
また電気鍼においてベータ波帯の非同期の異なる様子を示した。
痛み刺激に対する「低周波電気鍼の鎮痛効果」と「ERP」を計測した実験
非ツボとツボで比較したところ、両者とも鎮痛が生じた(痛みの程度が減少した)。この時のERPの振幅(波の大きさ)が小さくなった。しかし、ナロキソンは鎮痛に対して拮抗作用をもたらさなかった。ナロキソンはERPにも影響を与えなかった。(注:ナロキソンはいわゆる脳内麻薬が出ているかどうかを調べる時に使われます。ナロキソンで鎮痛効果が消えるなら、脳内麻薬による鎮痛であると言えます。)
*つまり、この実験においてはツボでも非ツボでも鍼には鎮痛効果が認められたが、それが内因性オピオイド(いわゆる脳内麻薬)による鎮痛であるという一般的な仮説を支持する結果にはならなかった。
Evoked potential assessment of acupunctural analgesia: attempted reversal with naloxone.
Chapman CR., et al., Pain. 1980 Oct;9(2):183-97.
EEGのデータもまた、fMRIで得られたデータ同様、鍼刺激が大脳辺縁系に影響を与えることを示す。
視床下部と脳幹の活動は通電鍼による心拍変動と関係があることが示されている。
最近の研究は広域EEGスペクトラルパワー(←時間周波数解析を行った報告)と心拍変動の間の関連を確認し、鍼刺激の間の脳活動は広く自律神経的調整と関連していることを報告しています。
「低周波通電鍼」と「フェンタニル(強力な合成オピオイド。鎮痛薬)」、「窒化酸化物」の3者の痛みに対する鎮痛効果を比較したところ、すべてにおいてSEPのP250と呼ばれる痛み関連成分の振幅が減少(=ERPの波が小さくなった)したことを報告しています。
また、低周波電気鍼とdesflurane(麻酔の一種)の痛み刺激に対する鎮痛効果を比較した研究は、両者の鎮痛効果に差がなかったことが報告されています。
シャム鍼(偽の鍼)と本物の通電鍼に対する脳の反応の比較研究を、被験者を麻酔下にして行ったところ、本物の鍼でのみP260痛みSEPにおいて有意な減弱が見られ、シャム鍼ではそのような変化はなかった。
鍼の鎮痛効果のメカニズムについてはかねてから議論があり、被験者の注意(意識)が鎮痛効果を生んでいるのではないか?という可能性が言われてきました。そこでこの実験では麻酔下の被験者に対して鍼を行い、意識・注意という要素を排除してERPの様子を検討しています。
(Winfried Meissner,2004.,Fig.2より)
鍼治療を受ける前の痛み刺激に対するERP(黒実線)と、鍼治療を受けた後の痛み刺激に対するERP(点線)です。
この実験においては、被験者は麻酔下に置かれており、被験者・施術者に対して二重盲検法が取られています。関係者の主観とは関係なく客観的な生理的指標として脳の反応(ERP)が確認されているので鍼は単なるプラセボではない、ということが言えます。
参考)
Neuroimaging acupuncture effects in the human brain : Dhond RP1, Kettner N, Napadow V., J Altern Complement Med. 2007 Jul-Aug;13(6):603-16.
Medical Acupuncture – A Western Scientific Approach : J.Filshie., et al., ELSEVIER,2016.
Acupuncture Decreases Somatosensory Evoked Potential Amplitudes to Noxious Stimuli in Anesthetized Volunteers; Winfried Meissner., et al., Anesthesia & Analgesia,2004,Jan. 98(1):141-7