鍼の効果を調べることの困難さ

鍼の効果を科学的に調べることの困難さ

 

鍼やマッサージは本当に効果があるのでしょうか?

実は単なる「プラセボ効果」ではないか?という疑問です。

科学的な手法で調べて効果があり(統計的有意差があり)と言えれば何の問題もない訳ですが、それには様々な困難があります。

 

鍼を受けたことのない方にとっては「なんだかよくわからない怪しげな伝統療法」、

また、受けたことがあるが効果がなかった方はご自身の実体験として「効果がない」と自信をもってお答えになるでしょうし、

 

他方で、鍼の熱烈なファンは、やはりご自身の実体験として鍼の効果を確信されていることと思われます。

 

私にとっての鍼は、他でも述べているように、とにかく「当たれば効く」(が「当たらなければ効かない」、あるいは「当たった時と比べてほんのわずかしか効かない」)治療手段です。しっかり当たった場合、髪の毛ほどの細い針金が、わずかの時間で、何時間もマッサージする以上の変化を起こすのは大変不思議なことです。

もっとも今では、自分の中では肩こりをはじめとする筋肉の「コリ」がほぐれたり痛みが解消される過程については

ポリモーダル受容器から始まる神経性炎症という生理学的な根拠によって理論的説明ができますし、

実践面でも再現性をもって実現できるので全く不思議なものではなくなっていていますが、それでもポリモーダル受容器のような組織が身体に用意されていること自体が不思議です。

 

さて、

これについて考えるにとても良い題材があります。

代替医療のトリック』という本です。

 

サイモン・シンとエツァート・エルンストによる代替医療に関する書籍で、日本では2010年に発売されました。その後、文庫化され題名が『代替医療解剖』と、やや穏やかなものになっています。(著者の一人、S・シンは素粒子物理学の博士号を持つ科学ジャーナリストという肩書の方です。)

当時、新聞広告で大きく取り上げられていましたので早速購入して読みました。(この本の内容は、下に添付の論文内で要点がまとめられているので、お読みなられていない方はそちらをご参考ください。)

とにかく代替医療と総称される鍼、ホメオパシー、ハーブ療法、カイロプラクティックなどの療法を容赦なく斬りまくるので

科学好きな私としては痛快で、自分の職業が滅茶苦茶に言われているのにも関わらず科学読み物として本当に面白かった、というのが一番の感想でした。この本によれば「鍼は完全なプラセボ」に過ぎません。著者の視点から純粋に「科学」を貫くとこの本のようになるのでしょう。

他の代替医療もほとんどすべて「効果なし」という結論だったと思います。

自分が全く異なる仕事をしていて鍼のことを知らないでこの本を読んだら、著者の経歴からお分かりのように説得力は半端ないので完全に鍼は効果なし、と100%納得、死ぬまで一度も鍼を受ける気にはならないと思います。

科学の世界では証明したい側が証拠を出さないといけない訳ですから納得できる証拠を出せていない鍼灸師の側が悪い訳です。

 

一方、

鍼灸師・マッサージ師としてこの本を見た場合、鍼やマッサージを語るにはあまりにも「雑」だし「無知」だと思います。

私自身、例えどんなに自分に不利な結果が出てもいいからとにかく本当のことが知りたい、と願うタイプの人間ですが、そのような人間が、鍼の(臨床)効果を証明しようと真剣に画策したとしても、結局のところ、

鍼の場合、薬の効果を調べる時のような(患者も、処方する医師も本当の薬がどれか知らないという)二重盲検法が使えないので、それがどうしてもネックになってしまうのです。

自分が鍼を刺されているのか、刺されていないのかがわからない、という状態がありえません。もしそのような人がいたらそんな人の意見はその時点でおかしいに決まっていますから逆におかしなデータになるでしょう。

あるいはツボと非ツボで効果の差を調べる、といってもまず、ツボの定義や位置(場所、深さ、方向など)自体に完全に一致した意見がない時点でそれ以上確実な話を進められません。

ツボがもし確実に決まっていたとしても本当にツボに間違いなく当てることができるのかという施術における技術的な問題もあります。

また、仮に施術における技術的な困難がクリアできても「科学的」実験を行うに足りる、手順・実験プロトコル、データの扱い方、研究倫理的な点について十分訓練された東洋医学系の鍼の術者がどれだけいるのか疑問です。

言いにくいですが、あまり信頼できない国や地域から鍼に効果があると主張する論文がいくらたくさんあっても何の価値もないどころか後でもう一度調べ直す手間がかかる分、本当のことが知りたいと願う人々にとってはかえって迷惑です。この本で指摘されているように「WHOが認めている鍼の効果」の元となっているのは中国によるいい加減な論文や報告によるもので、かえって鍼の価値を貶める結果になっています。

Google scholar などで「acupuncture effects」 あるいは 「dry needling effects」 などのキーワードで検索すれば、軽く数百件の「効果あり」という論文がヒットします。

しかし、上記の理由でどうしてもそれらの論文(特に前者 acupuncture の方)を本気で読む気になれません。(後者 dry needling については研究倫理的な問題、内容に対する不信感というよりも主に技術的な問題、つまり本当にトリガーポイントならトリガーポイントに間違いなく当てることができたのか?、コントロール群の設定は適切か?などの理由からです。)

もっとも近年ではメタ・アナリシス、システマティック・レビューといった一段上のレベルの論文も発表されそこで鍼やマッサージの有効性が示されたりもしていますが、それらの分析のもとになる個々の論文の質がやはり問題になるので根本的な解決にはなっていないと思われます。しかし、少しでも真実に近づきたいということですから流れとしてはとても良いと思います。

そのような例として一つ論文をご紹介いたします(論文3)。変形性膝関節症による痛みに対する鍼の効果を、他の様々な治療法(偽鍼治療、温泉療法、筋力トレーニング、太極拳、エアロビクス、減量、西洋医学の標準治療、治療無し群)と比較した結果、一番効果があったというシステマティック・レビューです。156の論文をもとに、患者総数9,709人分のデータを解析してこのような結論を導きながらも論文の著者は「この分野の研究は質があまり高いとは言えないのでもっと質の高い研究が必要だ」という指摘を付しています。

自分にとっては、現時点では臨床実験の結果を報告する論文よりも、生理学的な基礎研究が一番信頼がおけます。

幸い、日本の研究者が質の高い、内容的にも大変貴重な研究をしているので日本に生まれてよかった、と思います。痛み研究・ポリモーダル受容器の研究者であられた故熊澤孝朗博士や、川喜田健司、武重千冬、水村和枝、自律神経系の働きについての研究から鍼の効果を裏付けた佐藤昭夫(敬称略)…等々枚挙にいとまがありません。また、欧米でも鍼の効果を生理学的研究から説明しようとする研究者がたくさんいますから大変ありがたいことです。

 

 

さて、『代替医療のトリック』にこたえる形で、

鍼灸師の側からのとても参考になる論文がありますので下に添付させていただきます。鍼灸師の方でお読みになられたことがない方は絶対お読みになられた方が良いですし(きっとほとんどの記述について「そうそう」と、思われるのではないでしょうか?)、鍼灸師以外の方もおおむね興味深くお読みになられるのではないでしょうか。

 

個人的には2点、

 

1.論文2のp6

 

ーーー 『鍼灸治療を行う立場でいうと「鍼をしても、鍼を刺入しないで手で触れても経穴でも非経穴でもどこでも効果は同じ」という結論は納得できないし、鍼灸師そのものの存在意義が問われるのでこの見解は支持できない。』 ---

 

については

科学として語るのであれば、鍼灸師に都合がいいか悪いかは関係なくて真実かどうかが問題なのですから「鍼灸師そのものの存在意義が問われるので支持できない」という論はおかしいと思いました。

日本で細い鍼で浅く刺したり、刺さない鍼で治療している現状もある訳ですし、生体の軟部組織は刺激を受ければ必ず何らかの反応を示すわけですから、あながち上記の結論も誤っていないと思われます。(個人的には、効果が「全く」同じとは思えませんが「効果がある」ということは言えるのだろうと思っています。)

 

2.論文2の9p

 

「浅い鍼や経穴を外した鍼でも真の鍼と同等の効果ならば鍼の哲学は崩壊するか」との議論ですが、

「浅い・深い」は別にしても、「経穴を外した鍼」で「経穴に打った鍼」と同等の効果が出せるなら、私は端的に、経絡・経穴に関する鍼の哲学は崩壊すると思います。気血の流れを良くすることこそが鍼灸の神髄と銘打って経絡・経穴に刺鍼なり施灸するのに、それが場所が違っても同じ効果が出るとなれば論理破綻しています。

実際に鍼刺激についての脳反応の調査や、Felix Mannらの調査などからは、経穴(だけ)に特別な反応を起こす力があるという説明はかなり分が悪くなっています。( F. Mannについての話は鍼灸への科学的思考の先駆者のコンテンツをご覧ください。)

 

 

 

論文1

「『代替医療のトリック』の鍼治療に関する記述の問題点」 川喜田健司 全日本鍼灸学会雑誌, 2010, 60(2),252-254

論文2

「『代替医療のトリック』に答える」 小川卓良 全日本鍼灸学会雑誌, 2010, 60(4),656-671

論文3

Acupuncture and other physical treatments for the relief of pain due to osteoarthritis of the knee network meta-analysis :M.S. Corbett et.al  . 2013 Sep; 21(9): 1290–1298.

論文1

problems_of_alternative_medicine

 

論文2

about_trick_or_treatment

 

論文3

Acupuncture_and_other_physical_treatments_for_the_relief_of_pain_knee_meta_analysis