鍼刺激と脳のデフォルト・モード・ネットワーク

鍼刺激が脳のデフォルト・モードネットワークに与える影響

 

鍼は神経系に広汎に影響を及ぼします。

神経系には末梢神経中枢神経とがあります。

中枢神経は脳・脊髄によって構成され、末梢神経はそれ以外の感覚(触覚、温度、痛覚、位置覚など)の刺激を末端の受容器で受け中枢(脊髄)まで伝える入力と中枢からの運動の命令を筋肉に伝える出力を担っています。

 

当院が肩こり・首こりなどの「コリ」の治療において一番のターゲットにしているポリモーダル受容器は末梢神経系レベルでの話ですが、ここではそれより上位のいわゆる中枢神経系レベルの話、つまり、背骨が作るトンネルの中を走る脊髄、その上の脳幹、大脳辺縁系、大脳新皮質などへの鍼の影響について、その中でも特に「デフォルト・モード・ネットワークに及ぼす影響」についてご紹介していきます。

 

fMRIを用いた研究で、鍼は脳機能の様々なネットワークに血行動態の変化(脳血流の変化)を及ぼすことが報告されています。

身体にはたくさんのツボがあるとされますが、異なるツボに打った場合の脳の反応はわずかに異なるものの、そのツボ固有の脳反応というものはみられず(例:目に効くツボに刺鍼したからと言って視覚情報を処理する脳領域に反応が見られることはない)、それよりも場所は違えど鍼による「響き」が得られた時には類似した反応が見られることが報告されています。

響きが得られている状況下において、鍼刺激は大脳辺縁系―傍大脳辺縁系ー大脳新皮質ネットワークの活動レベルの低下(deactivation)と、体性感覚野の活動レベルの増加(activation)が報告されています。

また、内側側頭葉、後帯状回、内側前頭前野、頭頂葉で広範囲に信号の減衰が見られます。これらのネットワークは脳のデフォルト・モード・ネットワーク(DMN : default mode network)(*1)および非課題遂行時のネットワークとほとんど一致しています。また、デフォルト・モード・ネットワークには含まれていませんが、偏桃体、視床下部にも特に活動の低下が見られます 。

しかし、鍼で、響きとは異なる不快な鋭い痛み(ex.切皮痛)を感じている時はこのような反応(活動低下)はせず、むしろ活動が活発化(覚醒)が見られます。

 

(*1)デフォルト・モード・ネットワークについて


脳の研究と言えば今までは何か「特定の課題を行っている時」の反応を調べる事が中心でしたが、近年、「特に何もしていない時」の脳活動が調べられるようになり、実はぼんやりしている時こそがとても重要そうだということが分かってきました。このような状態の時に決まって活動する複数の脳領域をデフォルト・モード・ネットワークと呼んで研究が盛んに行われています。

まだ研究途上なので様々な仮説や主張がなされていますが、脳は「何もしていない(ように見える)時」に、実は「一生懸命勉強や仕事を行っている時」とほとんど変わらないか、場合によっては10倍以上のエネルギーを消費していることが観察されていることなどから、決して何もしていないはずはなく、多くの関連分野から注目されています。

現時点で分かっていることとして

デフォルトモードネットワークは、安静状態にある時に支配的にみられる脳機能のネットワークで、注意、記憶、意識、自己認識において重要な役割を果たすこと。病気や痛み、ストレスによる悩みなどの状態にある時、このネットワークの活動は乱れて機能不全になること。 

などが言われています。

そして、鍼の刺激によりこのデフォルト・ネットワークがリセットされることが報告されています。

また、鍼の刺激はデフォルト・ネットワークと感覚―運動ネットワークの内部でより強い結びつきを引き起こすことが報告されています。

 

研究例

 

Rupali P. Dhond.ら. 2008.の研究


鍼刺激(体性感覚刺激)が脳の機能的な結合に及ぼす影響を調べた研究

具体的には、鍼が、脳の2つのネットワーク、「デフォルト・モードネットワーク(default mode network :DMN)」と「感覚運動ネットワーク(sensorimotor network :SMN)」に与える影響をfMRIを用いて調べています。

鍼刺激の前後の様子をfMRIで観測、鍼は、本物鍼と偽鍼を用いてそれぞれの違いを観測。

脳以外に、HRV(heart rate variability)を指標に自律神経反応も観測。

 

実験概要

15人の健常者、右利き、成人21-33歳を対象

刺入場所:内関(PC-6)という経穴

鍼の太さは、0.23mm(日本では4番鍼、5番鍼の中間くらい)

刺入の深さは、1.5cm(筋肉内まで)

偽鍼: 皮膚を針金で軽くつつく刺激を与える(非侵害刺激のレベル)

 

分かったこと

偽鍼ではなく、本物鍼の刺激の場合、痛み(前帯状回)・感情(偏桃体・前帯状回)・記憶(海馬体、中側頭回)関連領域とDMN結合の強化が見られた。

さらに、海馬体(記憶のサポートと自律神経系領域との連絡)と強化したDMN結合が、鍼により誘発される交感神経関連HRV(LFu)の増加と負の相関を示し、副交感神経関連メトリック(HFu)と正の相関を示した。

偽鍼ではなく、本物鍼において、強化したSMN結合が、痛み関連脳領域(ACC,小脳)に生じた。

本物鍼と偽鍼の違いは本物鍼によって引き起こされる強い感覚、とより複雑な感覚により生じると思われる。

鍼が刺激後に安静時の脳ネットワークが空間的に拡張をして非侵害、記憶、感情に関連する脳領域を含むようになることを示した初めての研究。

著者は、「この変調と交感神経迷走神経反応は鍼鎮痛(鍼麻酔)と他の治療効果と関連する可能性がある」と気述べています。

 

デフォルト・モード・ネットワークと感覚運動ネットワーク

Fig.2. より:鍼刺激の前後でのデフォルト・モード・ネットワークと感覚運動ネットワーク

A: DMNについて:側頭頭頂皮質、後帯状回、楔前部、上・中・下前頭回

B: SMNについて:一次体性感覚野と運動野、二次体性感覚と補足運動野

 

 

Fig.3.より: 鍼刺激の前後でデフォルト・モード・ネットワークの機能的結合の変化(本物鍼と偽鍼のそれぞれについて)

(A): 本物鍼:DMNの結合の増加が生じた(偏桃体、海馬体、中側頭回、前帯状回、中脳水道灰白質、黒質、後頭頂葉、一次視覚野)

(B): 偽鍼: DMN結合の増加(側頭頭頂接合部)と、結合の減少(中側頭・下側頭回) が生じた

 

鍼に対する脳の反応についての34本のfMRI研究のALE-メタ・アナリシス

 

鍼の刺激と脳の反応(デフォルト・モード・ネットワーク)

鍼に対する脳の反応についての34本のfMRI研究のALE-メタ・アナリシス(*1)

( Characterizing acupuncture stimuli using brain imaging with FMRI–a systematic review and meta-analysis of the literature. Huang W. et al., 2012. PLoS One 7(4),e32960 )

A : 鍼の刺入時の脳反応. [ 感覚運動および感情の切り替え(salience processing) 脳領域の活性化 ]と[ 偏桃体とデフォルト・モード・ネットワーク領域の不活性化 ]

B : 真の鍼と偽の鍼に対する脳の反応の違い ( 直接対比 )  体性感覚エリア、辺縁系エリア、視覚処理エリア、小脳において有意な差異

C : B.についてそれぞれ個別に示したもの。真の鍼と偽の鍼では各部位の反応が異なる

D : 真の鍼と偽の鍼に対する脳の反応の違い(subtraction analysis)

安静状態を基準にして、それよりも活動が高まった部位を、本物鍼と偽鍼で比較すると、前補足運動野、中帯状回、前障、島、縁上回、二次体性感覚、背外側前頭前野において有意な反応を示しました。

安静状態を基準にして、それよりも活動が低下した部位を、本物鍼と偽鍼で比較すると、偏桃体-海馬内側で有意な反応を示しました。

 

(*1)ALE-メタアナリシスとは: = 活性化尤度推定(ALE)メタアナリシスをいい、複数の神経イメージング研究の結果を統合して分析する方法。これにより個々の研究だけでは明らかになっていなかった埋もれていた情報の発見をもたらす可能性があります。

 

その他 – 類似の内容(resting brain connectivity)の研究

他にも、デフォルト・モード・ネットワークという言葉は使っていませんが、実質的に同じ内容の研究として resting brain connectivity (安静状態の脳内の結びつき)をMRIを用いて調べた報告が多数あります。

それらによると、鍼により安静時の脳の結合が調整される。安静状態の脳活動のネットワークということは脳の本質的な結合状態、本来の結びつきを意味します。このような本来的な結合状態は、脳細胞のシナプスのメンテナンスや、脳領域間の信号(神経伝達物質)のやり取りの正常化・効率化・調整などに対して非常に重要な意味を持っていると考えられます。

このような安静状態の脳の計測はスキャナー(計測装置)の中に静かに横たわって行われますが、慢性痛を抱えている患者さんの集団を調べれば慢性痛患者さん特有の脳の状態というものを知ることができます。慢性痛を訴える患者さんのデフォルト・モード・ネットワークを構成する脳領域は痛みの知覚とリンクされていることが報告されています。

鍼を刺すと直後にデフォルト・モード・ネットワークの結合の増強が生じますが、実際に刺さない偽鍼ではこのような変化は生じません。どのくらいの期間かは不明ですが、この効果は鍼の治療後にも持続することが言われています。

デフォルト・モード・ネットワークを構成する後帯状回、下頭頂葉、内側前頭前皮質などは慢性痛と関連が深いことが分かっています。

したがって、これらのデフォルト・モード・ネットワーク領域の働きに対する鍼の調整作用ついての知見は、「慢性痛」( ← 現在、医療現場では解決困難な疾患の一つとして広く認知され始め、また、痛み研究の分野においてもメカニズムの解明が中心課題となっています )に対して鍼の効果(効果的な鎮痛)が期待できることの科学的な根拠となりうるので重要な意味を持っています。

 

 

参考文献 ) 

 

『 Medical Acupuncture : A Western Scientific Approach 』 Jacqueline Filshie, Elsevier.

『 Acupuncture Modulates Resting State Connectivity in Default and Sensorimotor Brain Networks 』; Rupali P. Dhond., et al., Pain. 2008 June ; 136(3): 407–418.

『 Characterizing acupuncture stimuli using brain imaging with FMRI–a systematic review and meta-analysis of the literature. 』 Huang W. et al., 2012. PLoS One 7(4),e32960 

characterizing_Acupuncture_stimuli_using_brain_imaging_with_fMRI_a_systematic_review