当院は西洋医学・科学ベースの身体観、治療観に基づいて鍼(ドライ・ニードリング)・マッサージを行っております。
東洋医学については何か決定的なことを申し上げるほど詳しく勉強しておりませんので、ほとんど好きか嫌いかという程度のことになってしまいますが、以下、東洋医学ファンの方ご容赦ください。個人的な意見です。
鍼・マッサージの専門学校では必ず経絡・経穴を含めた「東洋医学」の基礎について学ぶことになっています。
東洋医学には大きく分けて2つの流派があり、一つは主流派である黄帝内経派、もう一つは難経派です。
前者は八網弁証等、独自の思考理論に従って体の状態を把握し治療すべきツボを決定します。
後者の難経派は脈を取って体の状態を把握し治療点を決めていく、というものです。
日本において行われている鍼灸治療は海外から日本鍼灸と呼ばれていますが、鍼管を使うという技術的な独自性については有名です。基本的には上記の黄帝内経・難経のいずれか、あるいはミックスした考えに則って治療を行っているようですが、それ以外に理論的な独自性を持っているのか存じ上げません。たくさん流派があるので異議なく分類することは難しいかも知れません。
一つ私が確信を持って言えるのは、日本の鍼で行われている押手(鍼を支える側の手)は最高の発明だということです。日本での一般的な鍼灸治療がそのような意図で行われているか不明ですが当院のようにミリ単位で当てるという事を本気で考えた時、この押手なしには不可能だと思います。
理論的背景についてではありませんが、日本においては、鍼やあん摩は盲人が担ってきたという文化・歴史的背景があるので、中国・韓国などの「見て刺す」技法ではなく、悪そうな所を「触って刺す」技法が特徴的だとも言われています。大陸や半島の治療師がツボと言われている場所に、打つ前に触りもせずにポンポンと刺していく様子を何度か映像で見ておりますが、確かに普通の日本人の治療師の感覚からすると違和感を覚えます。きっとあちらの治療師からすれば、周囲を触って結局古典でツボと言われている場所から外れた所に刺している姿は「勝手に何をやっているんだ、ツボから外れているではないか」という風に見える事でしょう。ともすれば実験などで行われるシャム鍼(ツボを外して打つ鍼。ツボに刺した鍼との効果の差を見るために行われる。)とされてしまいかねません。
この点を含めた日本の鍼事情についてなぜか英国でのdry needling のテキストに分かりやすくまとめられており、また興味深い分析がなされているので参照させてもらいます。
出典は『DRY NEEDLING for MANUAL THERAPISTS 』( 著: Giles Gyer, Jimmy Michael, Ben Tolson)
以下、意訳(p.28~)
中国から思想や医術が持ち込まれた。…知られている一番古い資料の一つは、AD552年に中国の皇帝から日本の天皇に贈呈された鍼の本である。…
1635年に江戸幕府が鎖国をしたため長らく海外の影響からfreeであったため独自の発展を遂げた。結果、以下の特徴を獲得した。…
浅い鍼、少ない刺激を好み(preferring shallower needling and less stimulation )、…
最も興味深い事実の一つは盲人たちが鍼の発展の主人公であったことだ。盲人が鍼師というのは西洋人の我々にとってどこか奇妙(seem somewhat strange to us in the West)に映るが、彼らの触覚の敏感さを考えると理にかなっている。…
1680年に鍼とマッサージの学校が盲人のために設立されたがこれは世界で初の身体障碍者に対する職業訓練学校だ。…
杉山和一が発明した「鍼管」の影響で(細い鍼が刺しやすくなったため)「細い鍼」が日本でメジャーになった、…よって治療中の「響き」が無くても良いという考えになり、経穴のシステムは優しくて軽い刺激に反応するもの、と信じるようになった…
盲人が引っ張ってきた伝統ゆえ、洗練された感覚で触って刺入すべきポイントを決める、という日本の鍼灸を特徴づける方法ができた。場合によっては「理論」よりも、この触って治療点を探るというやり方は今の日本の鍼灸師にも受け継がれている。…
と解説されています。大変興味深い内容です。
さて、私にとっての東洋医学ですが、
経絡・経穴(ツボ)は、世の中の万物は陰と陽に分かれ、身体も含めたすべての物は木・火・土・金・水の5つに分類できるという陰陽・五行説の土台の上に成り立っているのですが、独断と偏見で5つに分類していく強引さに強い違和感を覚えたのと、「東洋医学概論」の講義はあくまでも、昔こんなことが言われていましたという”一般教養”としての教科だと途中まで信じて受けていたので、本気の教科だと知った時には、いまだにこんな事を真に受けている人がいるのかと大変驚いたのをよく覚えています。
たとえその後の議論が論理的に構築されていたとしても、この一番のおおもとである陰陽・五行説が全く信じられなかったのと、経絡の図を見た時に、人体(自然界に)にこんなギザギザした不自然な軌道を描くものがあるはずないと感じてしまい、どうにもなじめなかったので東洋医学的な治療法の道には進みませんでした。
下図の赤丸の箇所です。私には古代ギリシア人が夜空を見上げて神話の登場キャラクターを、肉眼で見える星で結んで作った星座のように見えました。
(出典:『経絡経穴概論』; 東洋療法学校協会 編, 医道の日本社)
他にも脈診(寸・関・尺 / 浮・中・沈)も舌診(舌のどの部位がどの臓腑に対応する、などの話)まったく信じられませんでした。こうしてみるとハナからダメですね。(生理学というものが存在する現代に鍼・マッサージ師になることができて自分にとっては本当に良かったです。ただし、「内因」といって今でいう心理的ストレスなどを重視したり、未病の概念や衣食住すべてが健康・病に関係するという捉え方には大いに共感できました。これは東洋医学の大きな功績だと思います。)
中国医療は人体の解剖が許されない社会の中で生まれ発展してきました。体の中を実際に見ることが出来なかったので想像力を働かせて自然界のアナロジーとして身体を構築していきました。一年が365日なので全身の経穴も365個、12本の経絡は一年は12カ月、あるいは中国内には大河が12あることに因んで、などと言われています。(どんな症状も経穴への刺激で治せるというならば365個のツボ全部に鍼を打てば話は早いではないか、と思いながら講義を聞いていました。)
歴史的にかの国が本当のことを言ったためしがないという事はさておいて、こういったアナロジーは私にとってはまったくのファンタジーでしかありません。アリストテレスは間違いなく大天才だったと思いますが、だからと言って現代で、彼が主張したことをそのまま信じている人がいたとしたら問題です。
私の場合は東洋医学に対しても同じように感じてしまいますが、
それでも多くの鍼灸師が東洋医学に魅了され、それに基づいて治療を行っている現実があることを考えると余計な疑問は持たずに勉強すればとても面白い分野なのでしょう。(自分もいつか何かのきっかけで勉強したくなる日が絶対来ないとは言えません)
何千年も続く伝統医療ということがよく言われますが長く続くこととそれが本当に正しいかは全く関係ないので、とにかく自分は間に余計なものは入れずに純粋に「コリ」を無くすことにすべてを掛けよう、という方向でやってきました。
もちろん西洋医学や科学も全く完璧ではないのは当然ですし、特に学問、西洋科学としての「医学」ではなくて、人間が施す「医療」となると文化的要素や政治的な力が大いに入り込んでくるので無茶苦茶な議論や慣行も横行している現実があるので、自分がもし東洋医学派でしたら、西洋医学派を見てよくあんな乱暴なことをやっていられるな。。。と思うかもしれません。
「科学」を自分なりにかばうとすれば、C・ポパーの反証可能性ではありませんが、すべての科学的知見は仮説であって反証されない限りにおいて真実である、というような理解ができるので、後の研究で誤りが見つかればその都度、訂正され、だんだん客観的真実に近づいていくだろう、という希望が持てるということです。つまり不完全性が最初から織り込まれていて、でも訂正訂正を繰り返しているうちに徐々に真理に近づいて行くだろう、というスタイルです。これが自分には性に合っているようです(*)。この点、古典や伝統医療は出来た時が完成形で、たとえ誤りが見つかっても自由に修正を加えるということができないのでこの点は東洋医学派の皆さんどう処理されているのかな?と素朴な疑問を抱いています。
(時計遺伝子、筋膜・ファシアの重要性、脳についての理解、認知心理学などからの深層心理や無意識の重要性、栄養学、運動学、気圧の影響、社会疫学などで明らかにされている社会格差と健康、医療社会学などからの知見である社会政策と人々の健康の関係、文化人類学で明らかにされているような文化的・時代的要因…様々な分野で無視できない重要概念が加味されていく余地がないのです。本来、”問診”に時間をかけるならこういった要素がその患者様に与えている影響を上手に聞き出すことに意識を持っていくべきです。)
もう一つ疑問に思うことは、多くの鍼灸院のHPなどで、東洋医学と西洋医学を両方見据えて治療を行う、ということが書かれていますが、この根底からまったく異なる医療を頭の中に同居させることができる柔軟さがすごいと素直に思います。東洋医学あるは西洋医学のどちらかを本気で信じていたら出てこない発想ですし、2つの完璧でない答えが出るので自分だったら「どっちなのよ?」と気になって気持ち悪いと思うのです。
いずれにしましても、東洋医学的手法を用いようが、西洋医学的手法であろうが、最終的には我々は患者様の不調を治す、という結果がすべてです。
自律神経系の調整や体質改善は(皮膚刺激だけではよほど効きやすい人以外には安定的に効果を出すのは難しいと私は考えていますが、)表層の筋肉(1cm程度の深さ)で十分なので日本的な浅鍼でも問題ないと考えられます。
しかし、深いコリを取るという事に関しては、理屈から言っても東洋医学的な治療では難しいと思います。
最後に一つ、深刻な実害としては、今の東洋医学的な勢力が支配的な状態のままだといずれは病院でPT(理学療法士)が鍼(ドライニードリング)治療を行うようになることでしょう。そうなると、痛み治療に対してとても効果が高い上に保険が効くという事になり鍼灸師は職を失うことになります。
(*)ただし、鍼の場合は性質上、新薬の治験のように二重盲検法を使った臨床実験ができないので臨床効果そのものを科学的に検証することが今のところできません。どうしても単に「鍼を刺した、治った、効いた」という「3た」療法的な論文ばかりになってしまうので歯がゆいですが仕方ありません。詳細は鍼の効果を科学的に調べることの困難さをどうぞ。