鍼鎮痛におけるポリモーダル受容器の働き

鍼鎮痛におけるポリモーダル受容器の働き

 

ここでは鍼鎮痛とポリモーダル受容器の関係についてご紹介します。

 

鍼鎮痛の機序についての背景と問題の所在について でご紹介しました通り、鍼鎮痛にはいくつか種類がありそれぞれ発現の機序が異なります。

 

1.局所疹痛に対する鎮痛は、筋硬結、つまり「こり」に直接刺鍼するとその凝った筋肉の痛みがなくなるというものです。これは過敏になったポリモーダル受容器に対する鍼刺激によって軸索反射が誘起され、血流が改善され鎮痛が現われると考えられます。

当院にお見えになる患者様に対してメインで行っている鍼灸マッサージの施術はここに該当します。

 

2.これに対して全身性に現われる鎮痛は、鍼刺激を介して低頻度刺激(1~3Hzなどの低い周波数での刺激)を与えて現われる鎮痛です。これが鍼麻酔などとも呼ばれることのある、脳内麻薬(内因性モルヒネ様物質)が関与する鍼鎮痛であり、この鎮痛は刺激終了後も長く持続するのが特徴です。

ここで話題の中心に述べていくのはこちらの全身性の鍼鎮痛の方です。

 

当院では一般的な鍼灸院のようにツボ(経穴)の概念に則って治療を行うのではなく、反応点(感作したポリモーダル受容器)を丁寧に治療していくというスタイルでやっております。

先に述べましたように、当院ではほとんどの患者様に局所疼痛に対する鎮痛としての治療をメインで行っておりますので、全身性の鍼鎮痛はあまり行う機会はありません(*1)が、もちろん皆無ではありませんのでその場合にはどのような考えに基づいているかをご紹介させていただきます。

 

当院では、ポリモーダル受容器研究の第一人者であられた故熊澤孝朗教授(や現役で活躍されている川喜田健司教授ら)の考えをベースにし、それに他の生理学的な研究で得られた知見を加味した形で施術を行っています。

 

(*1)全身性の鍼鎮痛を好んで提供していない理由は、

まず、効く・効かないの体質的な個体差があること、

確かに後効果もありますが基本的に一時的な鎮痛に過ぎないこと、

意図しているか否かは別として、他の多くの治療院で行われているのはこちらの治療法なので、当院ではむしろそれで効果が出ていない患者様においでいただくことを当初からの目的としているからです。

 

 

ポリモーダル受容器からみた鍼鎮痛(熊澤仮説)

鍼灸による鎮痛作用は、脳内鎮痛系の活動によるが、それは鍼による経穴部のポリモーダル受容器(侵害受容器)刺激により内因性の鎮痛系が賦活されることで駆動するというものです。

 

要するに、鍼鎮痛のメカニズムを痛み受容器入力による痛覚系への抑制、即ち、一種のネガティブフィードバック機序として考えるわけです。

 

一般用語に置き換えると、痛み信号が入ると体は痛みを抑える仕組みを働かせて痛み情報を途中で遮断し意識に上らせないようにする、という事です。

 

他の言い方をしますと、ポリモーダル受容器刺激により脳内のオピオイド系(脳内麻薬)が賦活され、その結果として鎮痛作用や、呼吸の抑制作用が出現する、ということです。

 

この考えを支持する様々な証拠が挙げられていますのでいくつかご紹介させていただきます。

ポリモーダル受容器仮説を支持する証拠

・まず、ポリモーダル受容器が痛みを伝える系(発痛系:情動系)と鎮痛を起こす系(鎮痛系)は同じです。

鍼鎮痛の経路に関する研究で、両者が同じ経路をたどっていることが分かっています。

具体的には、脊髄前側索から中脳中心灰白質背側部、視床下部前部、同外側部、同後部、中隔核外側部、帯状束、海馬後部、手網核一脚間核路、視床正中中心核内側部などの部位を経て脳下垂体に到る経路が針鎮痛の求心路です。そして、脳下垂体から遊離される何かある体液性物質が最終的には下行性抑制系を活動させて鎮痛を発現します。

痛みには弁別系と情動系がありますが、鍼鎮痛の経路が痛みの情動系であることが、ポリモーダル受容器説の根拠になります。

 

・鍼鎮痛の発現には筋収縮が必要であること。 

筋が収縮するような強さの鍼刺激による筋からの情報が鍼鎮痛を発現させますが、筋を刺激して筋収縮に伴う情報のうち前側索を上行するのは、Aδ線維か、C繊維に現れる情報と考えられます。Aδ線維も、C繊維もポリモーダル受容器が関係しますのでこれもポリモーダル受容器説の根拠になります。

 

・坐骨神経を細い痛覚受容器線維(C線維など=ポリモーダル受容器)が刺激される程度に刺激すると、脊髄還流液中に痛覚の伝達物質といわれるサブスタンスPが放出されます。同一刺激条件で、内因性鎮痛物質であるエンケファリンも放出されます。これらも鍼鎮痛をポリモーダル受容器による痛覚系へのネガティブフィードバック機序として説明しようという考え方をサポートする実験結果です。

 

・人間を対象とした実験では、鍼を刺入した時の鍼感(鍼の響き)を持続させることが鎮痛効果の発現には必要であるとされていますが、響きの感覚を生じさせているのがポリモーダル受容器であると考えられる(*)こと。

 

(*)鍼の響きが何によるものかについては反対意見もあります。エルゴ受容体とする説や、ゴルジ腱器官とする説など。

 

ポリモーダル受容器を支配するAδ繊維を刺激することで鎮痛が生じることを示した実験

川喜田ら,1980. は、ラットを用いた研究で、Aδ繊維のみを選択的に刺激し鍼鎮痛が生じることを示しています。

この研究は、Toda, 1978. の「鍼鎮痛はAβ線維の関与によるものである」という見解が念頭にあり、その誤りを示すために行われました。

簡単に代弁しますと、「Toda, 1978. は、鍼鎮痛はAβ線維の関与によると主張しているが、Aβ線維を興奮させる過程で細径線維であるAδ繊維やC線維も一緒に興奮してしまっている。したがって、そこで生じた鍼鎮痛はAβ線維の興奮によるものとは言えない。」という事になるかと思います。

このことを前提に、本研究では、Aδ繊維だけを選択的に刺激して鎮痛効果を示したことで鍼鎮痛におけるポリモーダル受容器の役割を明らかにしました。

 

 

参考文献

 

  • 『鍼麻酔の機序に関する生理学的研究』昭和大学教授 武重千冬 日鍼灸誌 27巻2号 昭53. 10. 155
  • 『針鎮痛の中枢機序』昭和大学 医学部 第一生理学教室 武重千冬 日良自律6号1(109)
  • 『鍼麻酔と鍼鎮痛発現の機序について』昭医会誌第52巻第3号〔241-255頁,1992〕昭和大学医学部第一生理学教室 武重千冬
  • 『針鎮痛の有効性の個体差と脳の内因性モルヒネ様物質の含有量個体差との相関関係』昭和大学医学部第一生理学教室 村居真琴 田中正明 蜂須貢 藤下悌彦 武重千冬
  • 『針麻酔の機序』日鍼灸誌 28巻1号 昭54.2.15 昭和大学医学部第一生理学教室 武重千冬
  • 『鍼灸刺激の受容器(経穴)の有力候補 ポリモーダル受容器について』水村和枝 日東医誌Kampo Med vol.62 No.2 196-205, 2011
  • 『ここまでわかった鍼灸医学:基礎と臨床との交流 -慢性疼痛に対する鍼灸の効果と機序』-樫葉均、全日本鍼灸学会雑誌2006年第56巻2号,108-126
  • 『針鎮痛有効性の個体差とモルヒネ鎮痛及び中脳中心灰白質刺激による鎮痛の個体差の相関』 村居真琴 羅昌平 清水比登実 藤下悌彦 武重千冬
  • 『生体の防御機構と鍼灸医学-生体の警告信号・防御系としてのポリモーダル受容器の働き』-全日本鍼灸学会雑誌42巻3号(220~227) 熊澤孝朗
  • 『鍼麻酔における Polymodal receptor の役割』, 川喜田 健司, 船越 正也, 自律神経雑誌, 1980年 27巻 2-3号 317-321.

  • 『H波を指標とした通電鍼麻酔に関する研究』, 川喜田健司, 船越正也 : 自律神経雑誌24:155,1977.
  • 『通電鍼麻酔に関与する神経線維に関する研究』 川喜田健司・船越正也*
  • 『「鍼」の効果に関する基礎的研究』市岡正道 戸田一雄 口病誌1978,45/2 東京医科歯科大学歯学部口腔生理学教室
  • 『Different releasing effects of traditional manual acupuncture and electro-acupuncture on proopiocortin-related peptides』; Nappi G.,et al., Acupuncture & Electro-therapeutics Research, 01 Jan 1982, 7(2-3):93-103.
  • 『痛みとその抑制』理学療法学 第16巻第3 号 159〜169頁(1989年)熊澤孝朗
  • 『痛みを知る』 熊澤孝朗 東方出版