鍼とマイオカイン
背景
筋肉には骨格筋(いわゆる一般に言う筋肉)と内臓平滑筋(胃腸などを構成する筋肉)とがありますが、骨格筋は上腕二頭筋などのように名前が付いているものだけで400ほどあります。若い男性では体重の約40%、若い女性で35%ほど占めており、皮膚組織と並ぶ人体で最大級の器官の一つです。
長らく筋肉は身体を動かすための組織(運動器官)としか捉えられてきませんでしたが、
筋肉が活動することにより生じる筋肉内の局所的な環境変化(乳酸や水素イオンなど)がホルモン分泌(成長ホルモン、男性ホルモン、インスリン様成長因子IGF-Ⅰ)などの全身反応を引き起こす強い刺激になること、
さらに、筋肉そのものから、血管、脂肪組織、脳神経系など、様々な器官や組織に影響を及ぼす物質が分泌されること
が分かり筋肉は立派な内分泌器官であることが明らかになってきました。
* 内分泌器官とは、ホルモンを分泌する器官です。
* ホルモンとは、血流に乗って全身を循環し他の器官の働きをごくわずかな量でコントロールする物質のことを言います。局所ではなく離れた部位に影響を与えることが特徴です。
マイオカインとは
多数存在する(数百単位で存在する)サイトカイン(*1)やその他の小分子タンパク、プロテオグリカン・ペプチドの一つで、筋肉の収縮に反応して筋肉細胞(筋線維)により作られ放出されます。
(*1)サイトカイン: 細胞から分泌される生理活性物質と呼ばれる低分子のタンパク質(生理活性蛋白質)の総称で、細胞間の相互作用に関与して周囲の細胞に影響を与えるものをいいます。
マイオカインの受容体は、筋肉、脂肪、肝臓、すい臓、骨、心臓、免疫細胞、脳の細胞などで見つかっています。このことからもマイオカインは多数の機能を持っていることが分かります。健康な身体機能のために組織の再生、修復、メンテナンス、免疫調整、細胞の信号発信などにも深くかかわります。
現在、筋肉から見つかっているマイオカインは30種~50種とも言われ働き等の詳細はまだ不明なものも多い状況です。今後も増えていく可能性もありますし、あるいは中には重複していることが分かり整理されていくことも考えられます。いまだ途上の研究分野でその存在について慎重になるべきだという意見もあります(*2)が、いくつかについては研究が進み、働きが解明されているものもあります。その重要な作用(筋肉自身に対する効果はもちろん、血糖値の低下、脂肪分解、認知症予防などの効果)からマイオカインは「夢の物質」などと呼ばれることもあります。
(*2)『 Myokines: Do they really exist? 』Yasuko Manabe, Shouta Miyatake and Mayumi Takagi ( ← 現在多くの「マイオカイン」が発表されていますが中には本当に筋肉から分泌されているのか検証が必要だと思われるものも混ざっているので慎重に議論を進めるべきだ、という主張です。)
- SPARC : 大腸がんのがん細胞を自殺(アポトーシス)させる働き
- IL―6 : 体内の糖を取り込み、肝臓では脂肪を分解する。つまり、肥満や糖尿病を抑える効用。血管壁に対し炎症を起こしにくくする抗炎症作用(動脈硬化を予防する効果)。肝臓に働いてグリコーゲン分解の促進、脂肪組織に働いて脂肪分解の促進、脳に働いて疲労感を誘発、神経細胞のアポトーシス(自死)を防ぐ。免疫系への作用。
- FGF―21 : 肝臓で脂肪を分解
- AMPキネーゼ : 血糖値を下げる
- イリシン : 全身の白色脂肪細胞に作用し、白色脂肪細胞を褐色化(browning)
- マイオスタチン : 筋肉が無制限に増え過ぎないように抑制。有酸素・無酸素運動ともにマイオスタチンの表現を弱め、影響を弱める(運動耐性を高める効果)
期待される作用をまとめると
- うつ、不安の抑制
- 認知症の予防
- 血圧の安定
- 脳卒中の減少
- 心疾患の予防、改善
- 動脈硬化の改善
- 筋肉増強(筋サテライト細胞に働きかけ、骨格筋の成長、再生、および肥大を起こさせる)
- 骨密度の増大
- 免疫機能の亢進(抗炎症作用、抗腫瘍)
- 糖尿病の予防、改善(血糖値を下げる)
- 肝機能亢進(脂肪を分解)
- 膵臓機能亢進
- 癌発生率の低下
- 老化の予防・若返り効果
など多岐にわたります。
マイオカインの分泌条件
以上のように、マイオカインは身体の機能を維持向上させるための重要な物質ですが、定期的な有酸素・無酸素運動により分泌されるものです。
筋肉にはいわゆる白筋・赤筋・中間のピンク色の筋などがありますが、これらの種類により分泌されるマイオカインも異なります。
ここから、運動を行う場合は長時間行える強度の有酸素運動と、ある程度以上の強い力を発揮させる無酸素運動を織り交ぜて行うことが効果的であることが言えます。
逆に、身体的な不活動(不動)、運動不足はおそらく、マイオカインに対する反応の鈍化などの変化を生じさせると考えられます。筋内ミトコンドリアと並んでマイオカインは、中年以降、とくに高齢者におけるサルコペニア(加齢性筋肉減弱症)とも深くかかわりがあると考えられています。
生物としての人体には、よく使うならば自らを長持ちさせようとする仕組みが備わっているといえます。
鍼刺激とマイオカイン
『Medical Acupuncture』(Jacqueline Fら。p48-51)
『Medical Acupuncture』によると、このようなマイオカインのいくつかが鍼(通常の鍼でも低周波パルスを使用した鍼でも)治療の最中に放出されると説明されています。その根拠となる論文として『 Lundeberg, T.,2014.Electroacupuncture Induces a Release of IL-6 in the Muscle and Circulation – Possible Physiological Implications. iSAMP, Tokyo. 』が挙げられています。とても大事な話ですので自分で確認してみたいのですが、検索してもこの論文にたどり着けず入手できないのでそれ以上詳しいことが分かりません。
『Medical Acupuncture』によれば、筋収縮により分泌されるマイオカインは、同様に筋収縮を促す低周波通電した鍼刺激(EA : Electric Acupuncture)により分泌されると説明しています。この理由によりマイオカイン分泌には、通常の手の操作で行う鍼刺激よりも低周波鍼通電の方が優れているとしてこちらを勧めています。
*ただし、運動と同程度の効果とまで表現はしていません。例えば代表的なマイオカインであるIL-6(インターロイキン6)の分泌量について運動時は100倍の単位で増加するのに対してEA(鍼通電)では10倍の単位での増加であるとしています。
そして、2型糖尿病、心血管疾患、乳がん、肺がん、更年期障害による種々の症状、認知症、うつ病に対する効果を挙げています。
J, Zhe-Cheng.ら.2017が学術雑誌Acupuncture in Medicine に投稿したLetter
J, Zhe-Chengらが鍼とマイオカインについて、Acupuncture in Medicine に投稿したLetterがあります。
その中で以下のことを述べています。
「 鍼がインスリン抵抗性や糖尿病に対して改善効果があるという報告がなされている。この結論について全面的に賛成するが、そのメカニズムが不明である。マイオカインがこれらの病症の改善の効果があること、定期的な運動がマイオカインの産生と分泌をうながすことが分かっているが、マイオカインに関する鍼の影響についての報告は未だなされていない。
我々は、鍼が毎をカインの産生・分泌を促し、インスリン抵抗性や糖尿病に対し上向き調整(upregulation)の作用を持っていると推論している。
この点に焦点を当てた研究が今後なされていく必要がある。 」
A potential mechanism underlying the effects of acupuncture on insulin resistance; Jiang, Zhe-Cheng; Li, Huan; Zhu, Bin.Acupuncture in Medicine; Northwich Vol. 35, Iss. 1, (Feb 2017): 77.
Zhen Su.ら.2015.の研究
糖尿病による筋萎縮に対する低周波鍼通電の効果を調べた研究です。
低周波鍼通電によって生じる筋肉の収縮・弛緩と、運動による筋肉の収縮・弛緩との類似性から、低周波鍼通電による刺激が糖尿病性の筋委縮を防ぐ効果があるのではないか、という仮説を立て、
糖尿病を起こさせたマウスに対し、14日間、一日15分間、20Hzでの鍼通電刺激を与えました。
結果:
→ ヒラメ筋と長趾伸筋の筋重量の損失を防いだ
→ 後肢の把持機能(muscle grip function・grip strength)の向上がみられた
→ Pax7, MyoD, myogenin and embryo myosin heavy chain (eMyHC)などの筋細胞の分化や成長に関する遺伝子の発現レベルが、糖尿病マウスにおいては、健常マウスよりも有意に低かったが、鍼刺激により抑制されたレベルの回復がみられた。
→ IGF-1 signaling pathwayが向上
→ Akt, mTOR and p70S6Kが糖尿病により低下していたが、鍼により低下が止められた
→ 24日続けたのちにはmicroRNA-1 and -206の増強が確認された
(Su Z,2015. Fig.4. : 白い矢印はサテライト細胞の移動(satellite cells migration)を示す
*膜下にあるサテライト細胞は通常、活動停止しているが、筋肉の傷害やIGF-1などの成長因子の変化に反応して筋肉調整因子 (MYOD, Myf5, myogenin, and MRF4)が発現し、サテライト細胞は分化・増殖し筋原線維に形成される。このようにして筋原線維は修復し、大きくなる。
結論: 低周波鍼通電は、IGF-1の分泌と、IGF-1による筋肉の調整メカニズムへの刺激により、糖尿病性の筋委縮の改善に効果的である。
Acupuncture plus low-frequency electrical stimulation (Acu-LFES) attenuates diabetic myopathy by enhancing muscle regeneration.; Su Z, Robinson A, Hu L, et al.PloS One 2015;10:e0134511.
マイオカイン自体がとても新しい研究対象であり、鍼によるマイオカイン分泌はこれまで鍼の効果としては考えられてこなかったことです。内容的にとても重要な意味(慢性疾患や精神疾患に対する効果など)があるので、是非、慎重に追試がなされ再現性や妥当性が確認されることを望んでいます。
また、マイオカインは種類によって、分泌されるのに必要な運動強度や持続時間、下半身の筋肉から分泌されるもの、など様々であることが報告されていますので、まず鍼により分泌されることが間違いないことが確認されたら、次に個々のマイオカインの適刺激(鍼のどのような手技、深さなど。あるいは低周波パルスであれば周波数など)やその時のマイオカインの分泌量などが明らかにされていくことを期待しています。
鍼での分泌が確実であれば、障害や高齢で寝たきりで十分な運動が出来ない方などに対する、上記の症状の治療としても鍼が科学的根拠をもって貢献できることになります。
参考
2000年に筋肉収縮の反応として産生される筋肉サイトカインつまり、マイオカインであるinterleukin 6(IL-6)が発見されてから続々と新しいマイオカインとその働きに関する報告がなされていますが、マイオカインに関する2017年までに出された3671の論文から75の論文をピックアップしてまとめたレビュー論文が2018年に発表されています。
A systematic review of ‘‘myokines and metabolic regulation’’ Henry H. León-Ariza., et al., Apunts Med Esport. 2018;53(200):155-162.
この論文では
- Interleukin 6 (IL-6),
- Leukaemia inhibitory factor (LIF),
- Interleukin 15 (IL-15),
- Brain-derived neurotrophic factor (BDNF),
- Fibroblast growth factor 21 (FGF-21),
- Myonectine,
- Fibronectin type III (Irisin),
- Beta-amino-isobutyric acid (BAIBA),
- secreted protein acidic and rich in cysteine (SPARC or osteonectin),
- Musclin
などが紹介されています。
review_of_myokines