背骨の歪み治療・骨盤矯正の危険性・落とし穴
背骨や骨盤の歪みを問題にする治療法は大変多くあります。
利き手・効き足の問題、日常動作・スポーツ・職業上の動作による体の使い方の癖、過去のケガによる後遺症的なものなど様々な要因に加え、もともと人体の設計自体が完全な左右対称(例:重い肝臓が右側に寄っているなど)ではありませんし、成長過程における何らかのエピジェネティックな原因により手足の大きさや長さも左右で微妙に異なるのが通常です。
ですので完全な左右対称はそもそも治療の最終目標とはなりえませんが、偏りが大きくなるほど特定部位へ負担が集中し摩耗・損傷(関節は消耗品です)が生じやすくなるので、一定の常識的な範囲内に体の左右・前後への歪みは収めておく必要があると思われます。
問題はどのように歪みの改善を実現するかです。筋短縮を解消せずに行う矯正操作はかえって筋力低下を招く危険性があります。
ここでは処置の過誤(失敗・事故)などによる危険についてではなく、ストレッチや矯正療法に内在する原理的な問題について論じていきます。
基本的な前提 : 歪みの原因
よくある誤りとして、歪みが骨格そのものからきているかのような話がありますが、骨が自ら歪むことはありません。「歪み」というのは骨と骨をつなぐ周囲の軟部組織(靭帯・関節包・筋肉・筋膜・皮膚など)の引っ張り具合のアンバランスが原因です。
つまり、歪みは関節周囲の軟部組織のアンバランスの結果なので、歪みを治すという事は軟部組織の短縮を改善するという事を意味します。
歪みのメカニズム
この辺りのメカニズムについてはIMS療法(筋肉内刺激法)の考え方が参考になります。
・関節を越えて動作する筋の短縮は、関節内の圧力を上昇させ、関節のアラインメントを狂わせ、「関節痛」を引き起こし、やがては退行性の変化つまり「関節症」を引き起こす。
・椎間を越えて動作する傍脊椎筋群(頸部・胸部・腰部の筋肉)の短縮により椎間板が圧縮され、椎間孔の狭小化が起こり、神経根を刺激したり圧迫し、神経インパルスの流れを阻害し、対照臓器への興奮入力を阻害する。
・神経根の圧迫によるニューロパシー(神経の機能異常)が筋緊張を高め、さらなる筋の短縮をまねく。
このような悪循環により筋短縮(コリ)が背骨や骨盤の歪みを生じさせ悪化させていきます。
傍脊椎筋群の短縮(つまりここでは「背骨の歪み」)によりニューロパシーが生じうること、それが引き起こす各種の症状については筋肉内刺激法(IMS)についてをご参照ください。
歪み改善の方法 … 安易なストレッチ・矯正術の危険性
問題は、どのように体の歪みの調整を行うべきか?ということです。
軟部組織の短縮が原因ですので、方向性としては元の長さに戻すこと、つまり何らかの「ストレッチ」的処置を行うことが考えられます。
しかし、ストレッチや、矯正術は適用場面や、やり方を誤ると体(正常な軟部組織)をかえって弱くする危険があるので注意が必要です。
まずは、百聞は一見に如かずなので、図で確認してみます。
筋肉の全体像はこのようなイメージです。
出典: Myofascial Pain and Dysfunction: The Trigger Point Manual. Travell, Simons& Simons’)
正常な筋線維と凝った(筋硬結・筋短縮)筋線維の図です。
正常な筋線維
均一な太さの筋線維が並び、それぞれの筋線維を構成するサルコメア(縦に走る縞模様)もほぼ等間隔で規則正しく並んでいます。詳しくは筋肉の基本的な構造と作用をご参照ください。
コリのある筋線維
筋線維の太さがそれぞれ異なり、いびつな形をしているのが分かります。
そして、濃く黒く見える部位があるのはサルコメアの間隔がとても短くなっているためです。
「…The striations indicate severe contracture of the approximately 100 sarcomeres in the knot section of the muscle fiber…」
⇒ 中央の黒く見える部分にはおよそ100のサルコメアが凝集していると説明されています。(下図の円内)
「The sarcomeres on both sides of the knots show compensatory elongation compared with the normally spaced sarcomeres in the muscle fibers running across the bottom of the figure…」
⇒ そして、その黒く見える部位の両脇は代償的に引き延ばされてサルコメアの間隔が通常よりも長くなっていると説明されています。(下図の円の外、矢印のある辺り)
Myofascial Pain and Dysfunction: The Trigger Point Manual, Third Edition, p30. (Travell, Simons& Simons)
真ん中(円内)に100ほどのサルコメアが凝集され、その両端は代償的に引き延ばされサルコメアの間が広く空いている。
Myofascial Pain and Dysfunction: The Trigger Point Manual, Third Edition, p95. (Travell, Simons& Simons)
Contracture knot がたくさん集まったものが臨床の現場で触知されるコリ ( 図の Nodule や Taut band) です。
筋短縮の解消なしに行う矯正
これらを前提として、歪みをとるためにいきなりストレッチや整体のような手技を行ったら何が起こるでしょうか?
触って分かるように、ある程度進んだコリ(筋硬結)は「消しゴム」のような硬さで、凝った筋線維(筋節)のロック状態は相当強固で、ガッチリと組み合っていることが分かります。一方、コリのない部分の筋線維は柔らかく伸張性に富んでいます。
筋硬結・筋短縮が解消されていない状態でストレッチをかけた場合、硬結・短縮している部位はそのままで、正常な筋線維、正常な筋節が代償的に引き延ばされることになります。
見かけ上は、可動域が広がる、歪みが改善されるという事になりますが、身体の深部では筋短縮はそのままに、正常な筋線維の過剰伸展が起こっています。
過剰伸展した筋は筋力が弱くなります。
図は筋の張力の範囲と筋力について生理学的に明らかにされています。(下図参照)
(『シンプル生理学』,p.42.)
A, B, C はサルコメア(アクチン分子とミオシン分子)の噛み合い方を示しています。
筋肉の発揮できる力は静止長(筋の自然な長さと思ってください)よりも短くても長くても減少します。
筋が短縮している状態は A の状態でアクチンとミオシンが深く噛んでいるのでそれ以上短縮できず、力が発揮できません。
筋が伸ばされ過ぎた状態は C の状態でアクチンとミオシンが完全に離れてしまい結合できないため、筋力は発生しません。
このことから、筋短縮(コリ)が解消されずに矯正をかけると、もともとの短縮に、代償的な過伸展が加わるので一見動きや姿勢は改善されたかのように見えますが内実はかえって以前より弱くなっている可能性があるという事になります。
IMS療法のDr. Gunn.が、
と述べているように、骨盤や姿勢の矯正として外から加える手技は、筋硬結・筋短縮がごく軽度の場合を除き、原理的に無理があると考えるべきです。
体表からアプローチできない背骨(頸椎、胸椎、腰椎)周囲の深層の筋肉は非常に厄介な部位で、手技療法で完全に緩んだと思えるほどの状態になっても鍼を進めていくとほとんど必ず筋硬結に出会います。
首コリや腰痛で慢性的な痛みを発しているのはたいていそういった部位からです。
指や体外からの操作で緩めることの難しい深層筋に対しては鍼(dry needlingやGunnのIMS)が非常に効果的です。
正確な鍼操作の技術と解剖的な知識・理解があれば、深層の筋膜・筋肉、靭帯に直接アプローチが出来るので、他のどのような治療法よりも確実に高い効果を上げることができると当院では考えています。
鍼の刺激で筋硬結による筋短縮への対処が出来て初めて無理のないストレッチや矯正術が意味を持つようになります。
施術が終わり、頭や身体を動かしたときにいつも感じていたツッパリ感のなさ・動かしやすさではっきり分かります。
* 可動域制限には筋肉以外にも筋膜や関節包などの軟部組織の短縮も関わっています。実際にはこれらの組織の硬化・肥厚や短縮も改善させることを考慮に入れて治療を行っていきます。いずれにしろ、外部から力をかけて引き延ばそうとする術はお勧めできません。
文献 )
Myofascial Pain and Dysfunction: The Trigger Point Manual, Third Edition, Travell, Simons & Simons’
『筋筋膜痛の治療』- 鍼治療の西洋医学的手法 – ; C. Gunn. (訳: 大村昭人ほか)克誠堂出版株式会社, 1995.
『シンプル生理学』改訂第7版, 貴邑冨久子ほか, 南江堂, 2018.