鍼・マッサージ刺激と脳細胞・認知機能の維持

鍼・マッサージ刺激と脳細胞・認知機能の維持の可能性について

 

鍼(マッサージ)の刺激が認知機能の維持に資する可能性についての研究をご紹介いたします。

 

前脳基底部コリン作動性神経が神経成長因子(NGF)の分泌を調整していることが分かり、鍼治療やマッサージ治療が、認知症などの予防や治療に役立つ可能性があることが分かってきました。

 

マイネルト核の重要性

鍼刺激と大脳皮質の血流増加の研究の所で少し触れましたが、前脳基底部にマイネルト核という脳細胞の集団があります。

ここから始まるコリン作動性の大脳皮質血管拡張神経系が、鍼によるポリモーダル受容器などの興奮するような刺激で大脳皮質血流を増加させること(大脳皮質血流の神経性調節)をご紹介いたしましたが、

 

この部位がなぜ脳研究・脳の疾患についての研究分野から重要視されているかといいますと、

Whitehouseが、1982年に前脳基底部にあるマイネルト核の細胞がアルツハイマー病で著しく変性していることを報告(*1)し、

その後の研究で脳内の前脳基底部のマイネルト核から大脳皮質に投射するアセチルコリン(ACh)を伝達物質とするコリン作動性神経は、アルツハイマー病で死にやすい事が明らかにされているからです。

 

(*1: Whitehouse.1982 )

アルツハイマー病患者の脳(マイネルト基底核)において75%以上の細胞が変性してしまっており、したがって脳内でコリン作動性の欠乏が生じていることがアルツハイマー病の病理的基礎にあるのではないか、と報告・指摘しています。

 

 

マイネルト基底核が関与する機能には、皮質可塑性、脳血流制御などがあり、記憶や睡眠に関係が深いことが分かっています。

 

記憶との関係: 前脳基底部の電気刺激により海馬における長期増強(long term potentiation:LTP)が促進されたり、破壊により抑制されることが知られています。

 

また、睡眠との関係: 前脳基底部が刺激されると覚醒度が上がり、逆に破壊されると、覚醒レベルの低下やREM睡眠障害が起こることが知られています。

 

マイネルト核の細胞体はコリン作動性軸索を広く大脳皮質の全層に投射させており重要な役割を担っています。鍼刺激は、このマイネルト核からのコリン作動性神経を働かせて、大脳皮質にAChを放出し大脳皮質の血管を拡張させ脳血流を増加させます。

 

マイネルト核のNGF(神経成長因子)放出

そして、マイネルト核のコリン作動性神経には、それだけではなくNGF(nerve growth factor:神経成長因子)と呼ばれる神経栄養因子の分泌を調整する働きがあるということ(Hotta Hら.2007.)が分かってきましたのでその研究をご紹介いたします。

 

神経栄養因子・神経成長因子(NGF)、アルツハイマー型認知症との関連


まず前提としまして、神経栄養因子神経成長因子(NGF)アルツハイマー型痴呆症との関係について説明いたします。

 

「神経栄養因子」と呼ばれる一群の物質は、神経細胞の分化、成熟、生存や機能維持に必須の因子と考えられている物質です。

「神経成長因子(NGF)」は代表的な神経栄養因子です。

既述のとおりアルツハイマー型痴呆症に密接に関連し、その予防あるいは治療への有効性を指摘されています。

 

マイネルト核の細胞を変性死させた実験動物にNGFを投与すると神経細胞死が抑制されることが報告され、NGFを治療薬として使用することが検討されています。

人間を対象とした研究でもアルツハイマー病の女性患者の脳にNGFを注入したところ患者の知能、その他の面で症状の改善が確認された例があります。

 

問題点


しかし大きな問題点があります。

脳には、脳・血液関門という仕組みがあり、物質の出入りを厳重に取り締まっているので、ほとんどの人工的な物質は通しません。

多くの「脳に効くサプリメントや栄養素」が、実際には効果がないのは人間の脳は自由に何でも物質が出入りできてしまうと機能が不安定になってしまう(高濃度の物質にさらされると場合によっては脳細胞が死滅してしまう)ため、必要があるなら、その都度、脳内で自分で作るという仕組みを設けています。

 

このような事情があるため、脳に直接注射ということをせずとも、鍼などの刺激で脳の働きが高め、自分でNGFが作れるようになれればとてもありがたいことです。

 

具体的研究例

Hotta H.ら2007.の研究


マイネルト核を電気刺激すると大脳皮質においてNGFが増加することが示されました。

 

鍼刺激後の血流変化とNGFの変化量

(Hotta H.2007. Fig.3 より: マイネルト核を刺激された時の A : NGFの量、B : 脳血流量)

 

マイネルト核の電気刺激の間、脳血流量は増加し刺激が終わると通常レベルに戻りますが、NGFは電気刺激の後から増加し初め、その後、少なくとも5時間も増加状態が続くことが示されています。

 

電気刺激中もNGFは放出されているが、増加した脳血流のせいで流されてしまっているため刺激中のNGFの量の変化が確認されないという可能性があると論文の著者は指摘しています。

また、少なくとも5時間続くNGFの増加は単に一時的な血流増加と異なり、脳細胞の変性・死滅を防ぐ効果がある可能性を指摘しています。

 

Hotta H.ら. 2002.の研究


脳の動脈を間欠的に閉塞させて脳細胞が死滅しやすい状況を作り、マイネルト核を刺激する場合としない場合を比較した実験により、

マイネルト核を刺激してアセチルコリン神経の働きを高めることで、神経細胞のダメージが軽減することが確認されています。

 

鍼電気刺激による脳細胞のダメージを防ぐ効果の比較

(Hotta H.2002. Fig.9. マイネルト基底核刺激が神経細胞へのダメージの具合に与える影響)

A、B、Cは動脈の部位(3か所)の違いを表し、各部位で左の柱はマイネルト核への刺激をしなかった場合のダメージを負った神経の数、右の柱は刺激をした場合にダメージを負った神経の数

 

 

前脳基底部刺激をすることで、一過性脳動脈閉塞による脳細胞の遅発性ニューロン死が抑制されることから、この部位の活性化は虚血による障害から大脳皮質ニューロンを保護するのに役立つと考えられること、

 

神経成長因子(NGF)は、前脳基底部ニューロンの生存や機能の維持に働いていることが示されました。

 

Manni L.ら. 2011.の論文

Hotta H.2002. 同様、鍼通電刺激が脳虚血によるダメージを軽減することを報告しています。

 

Hotta H.ら.2014. の研究


この研究では、

麻酔下のラットを対象に、後肢に非侵害性の刺激(やわらかい毛のブラシでさする)という刺激を加え、

頭頂葉皮質におけるNGF分泌に与える影響を調べました。

結果は、後肢皮膚への非侵害性の刺激でマイネルト基底核に活動が見られ、NGFの分泌量の増加が示されました。

 

マッサージによる脳内NGFの量の変化

(Hotta H.2014. Fig.1. より 後肢へのブラシでのマッサージ刺激による頭頂葉皮質でのNGF量の変化)

 

続いてその時のマイネルト基底核の活動の様子(血流量の変化)を調べました。

マッサージ刺激と大脳基底核の血流変化

(Hotta H.2014. Fig.3. より 後肢へのブラシでのマッサージ刺激によるマイネルト基底核の血流量の変化)

これらの結果から、マッサージ刺激によりマイネルト基底核が活動し、NGFの放出量が増加したと考えられます。

 

Uchida S, Kagitani F. 2015.の研究

ちなみに、高齢ラットでも同様に鍼刺激を前肢に加えると脳血流が増加することが確かめられているので、おそらく人間でも年齢を問わずこのような反応は生じると考えてよさそうです。

 

 

まとめ

鍼(やマッサージなど)の体性感覚刺激は、大脳皮質の血流を増やす作用と、神経成長因子の分泌を増やす作用により大脳皮質やコリン作動性神経の働きを維持し、脳細胞の変性や死を生じにくくし、脳の機能の維持、認知症の予防に役立つと予想されます。

 

参考文献

 

Alzheimer’s Disease and Senile Dementia: Loss of Neurons in the Basal Forebrain.; P J Whitehouse, D L Price, R G Struble, A W Clark, J T Coyle, M R Delon, Science. 1982 Mar 5;215(4537):1237-9.

 

Cell Loss from the Nucleus Basalis of Meynert in Alzheimer’s Disease; R. Doucette (a1), M. Fisman (a2), V.C. Hachinski (a3) and H. Mersky. Access Volume 13, Issue S4, November 1986 , pp. 435-440.

 

Stimulation of the nucleus basalis of Meynert procudes an increase in the extracellular release of nerve growth factor in the rat cerebral cortex. ; Hotta H, Uchida S, Kagitani F, J.Physiol. Sci. 2007; 57: 383-7.

 

Effects of stimulating the nucleus basalis of Meynert on blood flow and delayed neuronal death following transient ischemia in the rat cerebral cortex. ; Hotta H, Uchida S, Kagitani F : Jpn J Physiol, 52: 383-393, 2002.

 

Electroacupucture and nerve growth factor: potential clinical applications; L. Manni1, M.L. Rocco1, S. Barbaro Paparo2, M. Guaragna2 Archives Italiennes de Biologie, 149: 247-255, 2011.

 

Non-noxious skin stimulation activates the nucleus basalis of Meynert and promotes NGF secretion in the parietal cortex via nicotinic ACh receptors; Harumi Hotta, Nobuhiro Watanabe, Mathieu Piche, Sanae Hara, Takashi Yokawa, Sae Uchida; J Physiol Sci (2014) 64:253–260.

 

Effect of acupuncture-like stimulation on cortical cerebral blood flow in aged rats ; Sae Uchida,  Fusako Kagitani,; J Physiol Sci (2015) 65:67–75.

(Hotta H.,et al., 2002.)

Effects_of_Stimulating_the_Nucleus_Basalis_of_Meynert_on_Blood_Flow_and_Delayed_Neuronal_Death